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大阪ニュース

亡き友思い全力尽くす 清教学園・山崎貴人選手

2007年07月24日

 大切にしてきた約束があった。

写真8回裏、田中久登君の犠飛で本塁に生還する山崎貴人君=久宝寺球場で

 「何が何でも出塁する」。6点を追う8回、清教学園の1番打者山崎貴人君(3年)は3球目を思い切り振り抜いた。打球は鋭く伸びて右翼手の頭上を越えた。三塁まで全力で走った。

 「あいつ」の力をもらった気がした。堺市の小学校でソフトボールをしていた頃からの親友は、同じ中学の野球部に入り、遊撃手のライバルだった。1年生でレギュラーを勝ち取った親友を尊敬していた。

 中1の冬、親友は脳腫瘍(しゅよう)と診断された。突然、手術と入退院を繰り返す生活になった。体調のいい時は、練習に来ていたが、以前の軽快な守備は消えていた。それでも「さあ来い」と大声を出し、必死にボールを追っていた。

 卒業後、親友はあこがれの高校野球をあきらめたが、山崎君は清教学園に進み、野球部に入った。だが、周りのレベルは高く、練習もきつい。山崎君は野球を続けるかどうか悩んでいた。

 そんな頃だった。05年11月1日に彼は亡くなった。ソフトボール時代の仲間5人が自宅に駆けつけた。「誰か一人でも甲子園にあいつを連れて行こう」

 弱音を吐いていた自分は好きな野球ができる。悩みは消えた。

 山崎君はこの日、2安打を放った。だが、ずっと追い求めてきた亡き親友との約束は果たせなかった。「全力でやったよとあいつに報告する。でも、やっぱり甲子園に行きたかった」


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