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神村学園(鹿児島)ニュース

横手投げに変え急成長 神村学園エース・盛義達君

2007年08月11日

 最後の打者を打ち取った瞬間、苦しい場面でも顔色一つ変えなかったエースは、満面の笑みを浮かべた。胸の「神村」の文字は、野手にも負けないほど泥で汚れていた。

写真力投する先発の盛=阪神甲子園球場で

 身長184センチ。その長身は小学時代から存在感十分で、高校時代は投手だった会社員の父保憲さん(52)に「やるなら投手。きつい役割だが、やりがいがある」と手ほどきを受けた。小、中学校時代はずっと背番号「1」を背負った。

 中学卒業後に、奄美を出た。「甲子園に行くために島を出たい」。両親は、そんな息子の気持ちを尊重してくれた。

 初めての寮生活。自分でやる掃除、洗濯に戸惑った。関西から来たライバルの部員は一足先に中学から硬式を経験していた。電話口の父の言葉が心の支えだった。「1、2年で体を作って最後の夏に投げれば良いじゃないか」

 だが、ベンチを出たり入ったりで、なかなか結果を出せない。昨秋の県大会2回戦。継投でマウンドに立ったが、アウト一つとれず、2失点で交代した。九州大会のメンバーからも漏れた。「あの時期に外れると誰でも夏が心配になる」

 昨冬、コーチの勧めで横手投げに変えたのが転機になった。父に教わった上手投げ。変えることに抵抗もあったが「父にマウンドに立つ姿を見せたい」との思いが先に立った。

 初めて手応えを感じた。球種はシンカーが加わり、球速も12キロ上がって最速140キロに。日に200球近く投げ込んだ練習が結実した。今夏の地方大会は部員78人のエースになっていた。

 この日、6四死球を出す不調ながら、3失点に抑えた。1点差で迎えた6回2死一、二塁。思い切り振った打球は、右中間へ。これが逆転打となった。

 三塁上で高々と拳を突き上げた。スタンドには父。「投手として甲子園に立てたのも父のおかげだった」


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