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ここから本文エリア 石川ニュース〈特集〉 〈門前から挑め!夏2〉サポート役で夢めざす2007年07月06日 金沢市錦町にある遊学館のグラウンド。部員97人がいるその片隅で、カウントダウンする大きな声が聞こえた。「じゅう(10)、きゅー(9)、はち(8)、なな(7)……」
声の主は前田健太(18)。ストップウオッチを手に走り込みをする選手の横に立つ。輪島市門前町地原出身。門前中学ではエースで主将だった。「レベルの高いところで野球をして、甲子園に行きたい」と、遊学館に進学した。 あの時、前田はグラウンド横の室内練習場にいた。3月25日午前9時42分。ぐらぐらと地面が揺れるのを感じた。練習が終わった午後2時半ごろ、携帯電話を開くと、友人からメールが届いていた。 「門前ひどいみたいやけど、大丈夫?」。家族や友人の顔がすぐに思い浮かんだ。急いで父の携帯に電話をしたが、つながらない。やっとつながると、父の祐紀夫(42)は「家は大丈夫だから心配するな」。ただ他の地域はひどいところもあると聞いた。小学校の友人らにもメールを送った。 ◇ 門前を離れる時は不安もあった。友だちもいない。遊学館の野球部は人数が多いし、厳しい中で練習についていけるだろうか――。しかし入学すると大阪や名古屋からの部員に出会った。新しい友だちに刺激を受けた。 1年生の時、石川大会で優勝。生まれて初めて甲子園に行った。アルプススタンドから声を張り上げて応援した。球場の広さ、人の多さ、熱気に圧倒された。 「あのマウンドで投げられたら、どれだけ楽しいんだろう」。新チームになった時から練習にさらに熱が入った。毎日走り込んだ。レギュラーに入りたい。その一心だった。 しかし2年の秋、痛めていた肩のケガが悪化。父に付き添われて病院に行くと、「上方関節唇損傷」と診断された。治すには手術が必要だ。でも手術をすると春や夏にはもう投げられないかもしれない。医者には「このままの方がいいのではないか」とも言われた。 前田は迷った。そこに父が「少しでも可能性があるんだったら、残り1カ月でも2カ月でもがんばってみんと。あきらめるな」と背中を押した。1月末に入院。手術を受けた。 ◇ 「サポート役に回らないか」。部長に言われたのは地震の日のことだ。リハビリはしたが、前のようには投げられなかった。すでに心は決まっていた。「チームのためにできることを」と引き受けた。 ただ、誰よりも応援してくれる父のがっかりする姿が頭をよぎる。電話をして「最近どうや?」と聞かれても、「がんばっとるよ」。なかなか言い出せなかった。 ある日、父が練習試合を見に行くと前田の姿がない。電話をすると「サポート役をやっとるんや」。父もかける言葉に詰まった。でも「そういう仕事をもらったんなら、一生懸命やれ」。 ◇ 投げることが好きだ。もっとたくさん投げたかった。だめだと分かっていながら「何で肩を壊すのは自分なんだろう……」とも思う。でも最後の夏、悔いは残したくない。練習で声を張り上げ、レギュラー選手を盛り上げる。それが今の自分のチームでの役割だ。 地震後の5月初め、3年生部員全員で門前にボランティアに行った。でも自宅には帰れなかった。門前を出てから、家に帰れるのは多くて年に2回。試合があれば父はいつでも金沢まで応援に来てくれた。その父には「最後くらい、何が何でも甲子園に連れてけ」と言われている。自分のできることを精いっぱい尽くして、父を再び甲子園に――それが前田の今一番の願いだ。 =敬称略 |