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ここから本文エリア 石川ニュース〈特集〉 〈門前から挑め!夏1〉「地震で」とは言わせない2007年07月05日 倒れた家が解体され、更地が点々と広がる。能登半島地震で大きな被害を受けた輪島市門前町。曹洞宗大本山・総持寺祖院の目の前に、県立門前高校はある。全校生徒数186人。過疎化で10年前の約半分に減った。少し離れた市門前野球場では野球部員22人が懸命に白球を追っていた。地震に負けず、夏の初戦突破をめざす元気な声が響いている。
地震は3月25日午前9時42分に起きた。日曜日で、練習は休みだった。 投手の山本健太(17)と捕手の升本庄吾(17)は今春卒業した先輩の車で金沢市内にいた。信号待ちをしていた時、突き上げられるように大きく揺られた。「どっか他の県で地震があったんやろうか」。急いで父に「地震があった」とメールした。返事がない。数十分後、金沢に住む升本の兄から「能登が震源だ」と聞いた。すぐに門前に引き返した。車の中で何度も父に電話したが、つながらない。門前が近くなり、やっとつながった。「今どこにおる」。いつもの父の声が聞こえた。ほっとした。 海沿いの鹿磯地区にある自宅2階で寝ていた主将の上浜翔太郎(17)は、大きな揺れで目が覚めた。1階から階段を駆け上がってきた父の「下に降りろ」という声が聞こえた。階段を駆け下りて外に出た。揺れが収まった後で部屋に戻ると、倒れた本棚を太い釣りざお1本が支えていた。ひやりとした。 多くの家が倒壊した道下地区の自宅に山本が戻ったのは昼ごろ。周囲の倒れた家を見て地震の激しさを実感した。木造2階建ての自宅には割れたガラス戸の破片が飛び散っていた。自分の部屋は砂だらけ。夜は何とか片付けた場所で寝た。 上浜は翌日から避難所となった門前西小学校に家族と移った。体育館には約270人が避難し、床一面に布団が敷き詰められていた。ほとんどが高齢者で、寝不足や疲労で体調を崩し、夜中に救急車で運ばれる人もいた。配給の荷物運びを手伝いながら「野球がしたい」と思った。数日後、部室からバットなどを持ちだし、避難所の校庭で素振りを繰り返した。 山本も翌日、部室に置いたグラブが気になり、学校に行った。夏の大会用にと1月にオーダーで作り、キャッチボールで革を慣らした新品だ。部室は一面水浸しだったがグラブは机の上で無事だった。「水にぬれなくてよかった」。握りしめるように持ち帰った。 ◇ 地震から2週間が過ぎた9日。新学期の放課後に全員が顔をそろえた。「大丈夫やったか?」。心配する声が飛び交う。いつも練習している市門前野球場は防災ヘリコプターなどが離着陸して使えない。他の部も使う学校グラウンドで練習を再開した。「投げ方、これで普通かな…」。2週間ぶりにボールに触れた山本は、何となく違和感を感じた。でも「野球がしたい」と改めて思った。 ◇ 迎えた23日の春季大会1回戦、大聖寺戦。午前7時前にバスで門前を出た。試合は午前11時20分開始。守備が乱れた1回に2点、2回に5点を失った。結局1―9のコールド負け。わずか1時間半。バスに乗っていた時間より短かった。 山本はその夜、負けた理由を考えた。地震からの2週間が頭を巡った。でも「地震で負けたと言われたくない」。翌日、気持ちを切り替えてグラウンドに立った。「夏は春の分も勝とう」と。=敬称略 ◇ 第89回全国高校野球選手権石川大会が14日、開幕する。今年3月、M6.9の地震が襲った輪島市門前町。地震にも負けず大会に挑む門前の球児と、それにかかわる人たちの姿を追った。 |