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青森山田(青森)ニュース

成長の陰、父の励まし 青森山田・宮里克也捕手

2007年08月18日

 第89回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高野連主催)に4年連続で出場した青森山田は、2回戦で聖光学院(福島)と接戦の末4―6で敗れた。選手たちは17日午後、大阪府吹田市の宿舎を出て帰路についた。昨秋は県大会で初戦敗退、特待生の問題、4連覇の重圧など様々な壁を乗り越えて甲子園に出場した青森山田。2人の3年生を通して、夏を振り返る。

写真青森山田−聖光学院 5回裏のピンチに、マウンドの投手石井に声をかける捕手宮里=阪神甲子園球場で
写真試合に敗れ、スタンドの応援団にあいさつして引きあげる青森山田の選手たち=阪神甲子園球場で

 「やっと親孝行できました」。捕手の宮里克也君は初戦の報徳学園戦後、照れながらそう話した。この試合、エースの石井裕大君(3年)を強気の内角攻めでリードし、8回には適時打で報徳学園を突き放した。

 息子の活躍をアルプススタンドから見守ったのが父の克彦さん(45)。甲子園での2試合に、入院先の川崎市の病院から駆けつけた。車いすに座り、点滴を打ちながら観戦した。

 克彦さんは10年ほど前に病に倒れた。以降、入退院の繰り返し。克也君が青森山田への入学を決めた時も入院していた。 克也君は「病気の父を残して青森へ来るのは、不安で仕方なかった」と振り返る。だが、自らも高校球児で投手だった克彦さんは「青森で頑張って、甲子園を目指せ」と克也君を送りだした。

 「おやじ、甲子園までもつかな」。この1年、その不安ばかりが克也君の頭をもたげた。練習が終わると毎晩、病床の克彦さんへ電話した。

 今年の3月、ポジションが投手から捕手へ変わった。「夏に残るなら捕手しかない」。渋谷良弥監督の言葉に「今までは何だったんだ」と落ち込んだ。

 「キャッチャーやれって言われた」。「そうか……」と電話口の克彦さん。「背番号2を取って、甲子園に行こう」。父の励ましの言葉で迷いが吹っ切れた。

 慣れない捕手の練習はつらかった。球がミットをはじき、胸や腕はアザだらけ。ワンバウンドの球が怖かった。

 そして、甲子園。克也君は石井君の鋭い変化球を、体を張って止め続けた。「宮里はよくここまでなりましたよ」。捕手を始めて5カ月での大舞台。渋谷監督も克也君の成長を喜んだ。2回戦、聖光学院に満塁本塁打で先制されても、「強気で投げろ」と石井君を励ました。

 克彦さんもアルプススタンドで勝利を信じた。だが、親子で目指した甲子園はここで終わった。

 「こどもの活躍は、僕の勇気になっている。一生懸命やってくれました。ありがとう」。克也君が涙を流しながらグラウンドを去ろうとしていた頃、克彦さんはスタンド裏でそう話し、静かにほほえんだ。


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