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ここから本文エリア 青森山田(青森)ニュース 期待背負い直球を痛打 長谷川秀輝・三塁手2007年08月17日 9回2死満塁。
長谷川秀輝三塁手(2年)が打席に立った。渋谷良弥監督の「バットを短く持て」との指示通り拳一つ分短く持った。直球を狙った。3球目。真ん中に直球が来た。バットの真芯に当たった。満点の感触だ。 「抜けてくれ」。その瞬間、相手投手の体にボールが当たって、こぼれるのが見えた。 「行ける」。一塁にヘッドスライディングで飛び込んだ。しかし、「アウト」と塁審の声。泣きながらベンチを出る先輩たちの姿に、涙がこぼれた。「自分の最高の当たりでヒットにならなかった。力不足です」 長谷川君はベンチ入り18人の中で、3人いる青森県出身の1人。入学前には他県の強豪校からも誘いを受けたが、「自分が活躍して、全国へ青森の野球は強いんだって見せたかった」。だから青森山田を選んだ。 入学すると、県外から次々にライバルが入ってきた。青森、関西、関東がほぼ3分の1ずつ。周囲からは「関東や関西から来る選手は、お前とは体力も技術も違う」と言われた。 「青森だから、できない」。それだけは言われたくない。自身も小1からプレーした地元の野球クラブの小学生へ、甲子園で活躍する自分の姿を見せたかった。「地元出身でも青森山田の背番号がとれる」と。 県外から来た同級生は寮に入って野球漬けの生活。長谷川君は、今年の青森大会の直前まで、市内の自宅から通った。 練習を終え家に帰ると夜10時を過ぎ、朝は午前4時に起きて朝練。「食事、風呂、寝る以外は学校でした」。毎朝、母の明子さん(43)が長谷川君より早く起きて弁当を二つ持たせてくれた。 「けがをしないようにね。がんばってね」。母の言葉が背中を押してくれた。 そして、今年の青森大会。長谷川君は6試合すべてに出場し、打率4割7分1厘。優勝の原動力になった。 この日、甲子園の土を持ち帰らなかった。「また来る甲子園」。まだ思い出にしたくない。「先輩たちが大舞台に連れて来てくれた。次は5連覇を目指します」。泥だらけの額の汗をぬぐった。 |