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ここから本文エリア 青森ニュース 背番号10「晴れ姿、母に」 青森山田・山本翔太主将2007年07月26日 〈2年半の想い。親に感謝〉――青森山田の山本翔太主将(3年)は大会前、帽子のつばに黒のマジックで書き込んだ。
「ぼくを支えてくれた親へ、感謝の気持ちを込めたかった」。決勝の余韻が残るグラウンドで山本君は打ち明けた。 背番号10。捕手としては3番手。この日の決勝は出番がなかった。だが、絶えずベンチから声を張り上げた。攻守交代の円陣では、「自分たちの野球をやろう」とチームメートを励ました。 山本君は兵庫県尼崎市の出身。中3の夏、青森山田の練習を見学しに来て心が決まった。「ここで野球がしたい」 女手ひとつで、山本君を育てた母のさくら子さん(45)は「そんなに遠くへ行かせたくない」と反対したが、山本君の決心は固かった。 だが、慣れない寮生活と厳しい練習で、青森に来て1カ月後には体重が10キロ減った。 1年生の夏、甲子園に出場する先輩たちの応援で地元に帰って来た山本君の姿を、さくら子さんは覚えている。 甲子園球場のすぐ近くで、やせた息子が校旗を持って立っていた。「すぐ隣に息子がいるのに気がつかなかった」。さくら子さんは、涙が止まらなかった。 あれから2年。この春、チームは特待生問題に揺れた。 春の県大会。主力抜きのメンバーで出場を余儀なくされた。山本君は「仮」の主将になった。初めて背番号をつけた選手が、ほとんどだった。 「あの時、特待生問題を言い訳にしたくなかった」と山本君。だから死にものぐるいで県大会優勝を果たし、東北大会でも準優勝した。 「夏はお前がキャプテンで行くからな」。6月の東北大会が終わって3日後、渋谷良弥監督から正式な主将に抜擢(ばってき)された。すぐ、さくら子さんに電話した。 「おかあさん、キャプテンになったよ」 「うん、しっかりがんばりや」 山本君は吹っ切れたと思った。「試合には出られない。でも、主将ならできることがある」 この日、チームは4連覇を果たし、新たな歴史を刻んだ。「親に背番号がついた姿を見せたいです」。まもなく、主将として甲子園に旅立つ。 |