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ここから本文エリア 愛知ニュース 仲間の励まし 迷い消えた 中京大中京・都築佑児選手2007年08月01日 迷いはなかった。
中京大中京の都築佑児君(3年)は初球から振った。狙い通りのスライダーに合わせるようにバットを出すと、打球は高々と上がった。「レフトフライかな」と思って一塁を回ったところで、塁審が手を回しているのが見えた。 バットを投げた直後にガッツポーズした3回の左越え本塁打に続き、2本連発。高校通算でも3本打ったかどうか、の本塁打だ。二塁を回ってベンチを見ると、仲間が自分のことのように喜んでくれているのが見えた。 打撃不振だった。決勝までの5試合のうち無安打が3試合。打率は1割5分台で、周りのほとんどが4割以上の記録を残している中、自分だけが打てない状況が不振に輪をかけた。「打てないことを気にする性格」で、迷いが迷いを生んだ。「決勝では先発を外されるかも」と思った。 大藤敏行監督の思いは違った。「2年の時、足を引きずりながら練習をしているので病院に行かせたら、すねを剥離(はく・り)骨折していた。根性のある選手」。練習に取り組む姿勢を見ていた大藤監督は「どれだけ打てなくても、都築を代えるつもりはなかった」。 「みんなが『気にするな』と言い続けてくれたことで、思い切りよく打席に入れた」と都築君。仲間の後押しで打席での迷いが消えた。5―5で迎えた7回裏の4打席目は、2死三塁。また、狙い通りのスライダーが来たが、勝ち越しの適時打にはできず、逆に9回に勝ち越され敗れた。 整列の後、愛工大名電の石黒雄一朗主将(3年)と抱き合って、言った。「甲子園で絶対勝てよ」。石黒君ら4人とは中学時代のチームメート。同じ高校に行くことも考えなくはなかったが、中京大中京は小学生のころからの目標だった。中3の時、甲子園でベスト8入りした姿を見て、中京大中京に決めた。 以前の仲間が甲子園で活躍する姿を見てうらやましくもあったが、「最高のチームメート」と一緒に、愛工大名電を倒して甲子園に行きたかった。 「自分がやってきた練習や結果に悔いはない。ただ、くやしいだけです」 |