開会式に想う
08月07日

ある年の夏の甲子園、私の友人が監督を勤める学校が出場を果たした。春夏通じて学校だけでなく、彼自身も初めての甲子園だった。取材を通じて彼と親しくなっていた私は、自分のことのように初出場に感激した。
開会式当日、友人はチームを連れて甲子園「一番乗り」を果たした。嬉しくて嬉しくて、でも早く来すぎて球場内に入れず、選手たちは外で「体育座り」をして時間が来るのを待ったそうだ。
開会式は、その日に試合をする監督さん以外、みなさん私服でスタンドから自分たちのチームの行進を見守ることになっている。
「スタンドから見るから、携帯に電話かけてくるな。ひとりにさせてくれ」
知人は私にそう言った。
「たぶん行進しているところみたら、泣くから」
そして付け加えた。
「いや、泣きたいから」
彼は存分に泣いたそうだ。スタンドから苦労させられた自分の選手たちが立派に行進しているのを見て。5年間の指揮を振り返って。不遇の時代を思って。
試合は完敗だった。10安打も打ったのに一点も取れなかった。終わるまで試合時間は2時間もかからなかった。5年間の指揮はあっという間に終わった。
「あーあ。一番大事な場所で、最低の試合をしちゃったよ」
その日の夜、レストランで彼は私が渡した公式スコアを眺めながら声を落とした。
そのときは黙ってしまったが、今なら私はこう言うだろう。
甲子園に最低の試合などありません。エラーを10個しようが、30点取られようが、コールドゲームがない甲子園は、9回まで誰もゲームを止めることが出来ないのだから。どんな試合をしようが、選手はその試合のゲームセットの瞬間まで、甲子園の「主役」なのです。だから結果を恥ずべきゲームなど、甲子園に存在しないのです。
いやいや、そんなこと私が言わなくても彼はわかっていたと思う。
試合に負けた翌日、甲子園の外のお土産売り場に彼とチームがいた。
「これからUSJに連れて行くんだ」
「でも今日、帰るんじゃなかったですか」
ああ、と友人は笑った。
「『負けたチームは出来るだけ大阪見物して帰るように言われてます』って、学校に適当なこと言った。あれだけ頑張ったんだから、それぐらいのご褒美はこいつらにあげてもいいだろ」
そしてまた、ニヤニヤしながら付け加えた。
「俺は野球教えるのは下手だったかもしれないけれど、口は上手いからな」
そういって、私にチーム全員のサインが入ったボールをくれた。ボールを持つと、サインの分だけ重いように感じた。
友人はその年の夏で、高校野球の監督を辞めた。
そのボールは今も私の机の上にある。
※写真は「鳴子」をもって応援する高知商のアルプススタンド(写真と本文は関係ありません)