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〈甲子園を夢見て2〉 「ブラジル代表」は日本志向2006年07月23日 「もっと手前でボールを投げないと」
「わかりました。センセイ」 日本と変わらぬ光景が地球の反対側にあった。 ブラジル・サンパウロ市から車で1時間半の田園地帯にあるイビウナ市。ここに現地法人ヤクルト商工が00年に4億円以上をかけて造った「野球アカデミー」がある。総面積は約23万平方メートル。グラウンド3面のほか、選手寮などがある。 ヤクルト商工とブラジル野球連盟が共同運営し、国が運営費約3千万円を毎年負担する。年齢別のブラジル代表チームの中心となる12〜18歳の選手約40人が寮で生活する。入るにはセレクションに合格しなければならない。プロ野球のないブラジルではそれが「海外でプロになる第一歩」だ。 代表の半数は日系人以外が占める。アカデミー校長で日系2世の佐藤允禧(みつよし)(59)は「15歳前後のほとんどの代表選手の目標はKoshien」と言う。 ■ オスカル・マツサキ・ナカホシ(15)は日本生まれの父に6歳で野球を教わった。週3日、打撃や投球フォームなどをたたき込まれた。サッカーをする友達は多かったが「野球の方が楽しかった」。12歳で自らセレクションを受けた。 午前中はバスで近くの学校へ通い、午後2時から練習。夜は日本語と英語を週2回ずつ学ぶ。日本や米国でスカウトされた時や、引退後に現地企業で働く時に備える。 1部屋8人の相部屋生活。「体調管理など大変なことも多かったけど、両親が将来は日本で頑張ってほしいと応援してくれた」 「Koshienはアマチュアの大きなイベント」だと佐藤から聞いた。「全力投球して、高校野球の世界に入りたい」。8月10日から大阪などで開かれる世界少年野球大会に参加する。 一緒に来日するロージニ・テツイ・ウエハラ(15)は日系4世。両親の「デカセギ」先の神奈川県平塚市で生まれ、サンパウロ市で育った。プロ野球選手になるのが夢で、5月に代表チーム入りし、練習のためアカデミーに通っている。 母のイクミ(38)は「今度の訪日で日本の高校に誘われれば、これまでの努力が報われる」と期待をかける。 サッカーが盛んな国に野球が根付いた背景には、日本移民の歴史がある。日本人がブラジルに渡って8年後の1916年、サンパウロ市で初めて野球の試合が行われた。その後、野球が教育の一環として日本人学校の授業に採り入れられるなどして、すそ野が広がった。 ■ こうしたブラジル球児に目を付けたのが、日本の私学だった。 05年に羽黒(山形)を選抜大会4強に導いた片山マウリシオらはアカデミー出身だ。同校の前監督、竹内一郎(44)は「関西の野球留学生を受け入れている高校に後れを取っていた。これでは甲子園へ行けないと思ったとき、一発逆転でブラジルの話が舞い込んだ」と明かす。 ブラジル野球連盟日本事務局長、曽川博(38)は「日本のいい選手は甲子園常連校に進学してしまう。実績のない私学にとって、国代表の力を持つブラジルの選手は魅力的なはず」と指摘する。 ブラジルの留学生3人を受け入れ、02年に悲願の甲子園初出場を果たした日章学園(宮崎)。校長の有馬登志雄(59)は「彼らがその原動力になったことは間違いない。甲子園に出て初めて、学校として『一人前になった』と思う」。
今年もアカデミー出身者が1人、栃木大会で活躍している。「頑張っていることがわかると我が子のようにうれしい」。毎晩、インターネットで試合結果を探す佐藤の表情は明るい。
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