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「N」マークで徹した裏方 秦野・鈴木俊徳主将2006年07月14日 秦野の主将・鈴木俊徳君(3年)は第1シードの慶応戦でサードコーチャーを務めた。守備の時はベンチ前に置かれた前監督・並木健男さん(享年63)の遺影の一番近くで声を張り上げ続けた。一度も座らなかった。
「並木さんの写真も笑ってたでしょ? 今までで最高のゲームだったんですから」。試合後、鈴木君は満面に笑みを浮かべていた。 夏を前にした夕方。秦野グラウンドの一番隅で「行くぞ!」。主将の声が響く。握りしめるのはカーボン製の真っ黒なノックバット。グリップエンドに「N」と書いたシールがはってある。 並木さんの頭文字だ。昨年、がんで亡くなるまで専用のバットだった。 昨夏の大会後、その並木さんに主将に指名された。レギュラーでなかったから「なんでオレ?」。戸惑った。 その時、並木さんのがんは既に相当進行していた。9月中旬、退院してすぐに部員を集めて、言った。「オレはもう危ないかもしれない。力を合わせてがんばれよ」 それでも毎日、ノックをしてくれた。木とカーボンの2本ある専用バットは、誰にも使わせなかった。間もなく、亡くなった。鈴木君は、頭が真っ白になった。葬儀には部員全員で出席した。ひつぎに木製のノックバットを入れた。 OBが連日交代で指導に来てくれるようになったが、毎日来てくれる指導者はいなくなった。「誰かが裏方に回らなければ」。野球部に1本だけ残った「N」マークのノックバット。昨年12月、初めて握った。主将の自分がノック役を買って出るなら、並木さんも許してくれそうな気がした。 それからは毎日のようにノックを打った。練習や試合中、選手の様子をメモに取り、後任の鈴木孝優監督に渡した。6月下旬からはブルペンキャッチャーも務めた。 この日、エース加藤卓哉君(3年)を中心に投手陣は慶応を2点に抑え、ノックで鍛えた相原司君(3年)は好捕を連発した。並木さんに、「なる」と誓った強いチームに、秦野はなっていた。鈴木君は楽しくてしょうがなかった。 チームメートは「俊徳が秦野グラウンドでは監督だった」と口をそろえる。「チームのために何でもできるやつ」。きっと、並木さんが期待したのも、そこだったのだろう。 「帰ったら、最後のノックを打ちたいです。今日は、打ってないですから」。「N」マークは今では鈴木専用の目印だ。
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