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終盤決め香川西V、「夏」完全燃焼 寒川粘り届かず

2006年07月31日

 仲間に支えられてこの日のマウンドに立った両エースは、仲間の思いに応えようと全力で投げ続けた。香川大会は30日、決勝戦があり、試合終盤まで集中力を切らさなかった香川西が、粘る寒川の反撃を絶ち、3年ぶり2度目の全国大会出場を決めた。香川西は8月6日から阪神甲子園球場で始まる全国大会に挑む。

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香川西―寒川 7回表香川西2死一塁、打者高橋の時に村上が二盗。捕手青山からの送球がそれる。遊撃手河内=7月30日、オリーブスタジアム

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試合終了後に互いをたたえ合う寒川の捕手青山(左)と香川西の捕手ウラムの両主将=7月30日、オリーブスタジアム

     ◇

 1―1の同点で迎えた6回表。寒川のエース松下は、2死二塁のピンチに、警戒していた香川西の主将ウラムを迎えた。

 疲れからか、立ち上がりからボールが高く浮き、握力が落ちているのが自分でも分かったが、5回までは気力で打者の内角を強気に攻め、毎回のように走者を背負いながらも1失点に抑えてきた。このときも、捕手青山は松下の気力を信じて、やはり内角の直球を要求した。

 だが、投じた4球目は青山の構える内角とは逆の外角高めに浮いた。ウラムの打球は右前に転がり、二塁走者は一気に本塁を突いた。続く7回にも得点を許し、8回には死球の後、左越えの二塁打を打たれてマウンドを降りた。

 下半身が重かった。限界まで投げきった、と思った。

    ◇

 松下は1年の秋、練習中にひざを痛めて手術をした。それでも治らず、2年の8月に再手術。1年間まともに練習出来ず、マシンにボールを入れたり、スコアボードに点数を書き込んだりしていた。

 面白くなかった。筋力トレーニングするふりをして、同じように故障している選手と雑談して過ごした。やる気をなくし、いまにも辞めそうに見えたのかもしれない。チームメートから、何度も「頑張ってくれ」「野球をやめずに続けてくれ」と励まされた。

 みんなが自分を支えてくれている、と思った。夏の炎天下でもばてないようにと走り込みを始め、マウンドに戻ったのは今年5月だった。

 そして「ONE FOR ALL」と帽子のひさしに書いて臨んだ夏。「みんなのために甲子園に行きたかった」

    ◇

 6回表、2死二塁で打席に立ったウラムは、寒川を1失点に抑えていたエース豊岡を何とか援護したくて、バットに「打たせて下さい」とお願いした。自然に出たバットにボールが当たり、打球は右前へ。塁上で思わずガッツポーズが出た。

 ウラムと豊岡は、大阪の少年野球チーム時代からバッテリーを組み、ともに香川西に入学して甲子園を目指してきた。

 1年の冬、豊岡が突然フォームを崩したときも、2人は一緒だった。豊岡は2カ月間、午後9時に練習が終わった後も寮に帰ってシャドー練習を繰り返し、ウラムもつきあった。試合で録画したビデオを見て改善策を話し合ったこともあった。

 この日、豊岡の調子は決してよくなかったが、終盤になるほど直球は内角に決まり、変化球は低めに集まり始めた。「みんなが一生懸命点を取ってくれたから、どうしても守りたかった」

 3点リードで迎えた9回裏、2死一塁で投じた142球目はスライダー。大きく上がった打球を左翼手が捕った瞬間、豊岡は右拳を高く突き上げ、駆け寄ってきたウラムと抱き合った。

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