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〈野球復活2〉 みんな同じ部員なんだ2006年07月09日 バックネット裏に座って、おにぎりをほおばり、お茶を飲む。丹原の部員たちから笑顔がこぼれる。厳しい練習の合間の休憩時間だ。
「梅干しはないの?」 「お茶ついでや」 10分ほど雑談しながら体を休め、部員たちは再びグラウンドに散らばり、ノックが始まった。1年生も3年生も、守備位置につき、大きな声を上げて球に飛びつく。 「本当は打つのが好きなやつが多いんですよ」と、主将の高橋裕(17)は少し困った顔をする。 「でも、『苦手な練習もちゃんとやろうや』って、みんなで話し合うんですけどね」 グラウンドの整備も全員でする。意見の違いがあっても、話し合いによる解決を徹底し、精神面だけでなく技術面でも足りない部分が分かるようになった。 「でも、最初は練習なんてできる環境じゃなかった」――。高橋は新チームの発足当時を思い出し、こみ上げてくる涙をぬぐった。 ◇ ◇ 昨年7月末、「丹原高校 野球部監督が部員をバットでたたく」というニュースが新聞やテレビで報道された。 6月の練習試合で、元監督が「守備練習で怠慢なプレーをした」と、ある選手をしかった際に思わず手が出た。バットのグリップエンドでこづいたのだが、熱心さのあまりの「行き過ぎた指導」と批判された。 元監督は、レギュラーと補欠で練習メニューを変える人だった。試合に出るレギュラーらは守備や打撃を練習するが、補欠は守備でボール渡し、打撃でも球拾いの日々。後はひたすら走った。試合で負ければ、逆にレギュラーも補欠も一緒に何十周ものベースランニングを科された。 報道後、元監督は辞任。3年生が引退して発足した新チームは休部に追い込まれた。 「『不祥事の部』って見られることが恥ずかしいし、誰も新しい監督になってくれない。見捨てられたんじゃないかって」 補欠から主将になったばかりの高橋の不安は募った。他の部で頑張りたいと1人やめ、部員は10人になった。 ◇ ◇ 8月に入ってようやく臨時の監督が決まった。 久しぶりにみんなで集まって打撃練習をした。元監督時代は球拾いとダッシュに明け暮れていた1、2年生にとって、バットを握り、球を追うことは楽しかった。「どうせ自分は出られない」と思っていた試合も、どうしてもやりたくて、雨でぐちゃぐちゃになったグラウンドも部員総出で整備した。 ただ、チームは秋、春の県大会は地区予選で敗退。先取点をあげ、加点しても終盤に逆転を許した。「9回を戦う力がない。好きな練習だけをしていたツケが回った」と、高橋は思った。 そこで、今年は6月に入っても技術の向上と体力強化に取り組んだ。冬の間ほとんど走り込みや連係プレーの練習をしなかったからだ。自分自身もサインや連係プレーに体も頭もついていくのが精いっぱいの時がある。「走る体力があってこその野球」。そんな元監督の言葉も少し分かるようになった。 それでも、今はレギュラーと補欠の練習はほぼ同じ内容になった。元監督の指導は「『レギュラーを奪え』という競争意識を育てようとした」と思う。でも、チームは二つに分かれていた。あんな思いはもうしたくない。 「チームを一つに」。その決意は、主将になって間もないころ、帽子のつばに「全員野球」と書いた時から変わっていない。
(敬称略)
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