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〈あの1球、それから3〉 男だ、女だと悩む前に2006年07月07日 04年7月17日、刈谷球場。第86回全国高校野球選手権愛知大会初日。刈谷球場の開幕戦前の始球式に、刈谷高野球部の女子部員、岡田さおりさん(3年)が「登板」した。背番号は19。当時ベンチ入りできた18人に、1を足した数字だった。身長155センチ。左腕から球速100キロの直球を投げ込み、会場から大きな拍手を受けた。
足跡一つないグラウンド。球場を包む緊張感。 岡田さおりさん(20)は、最初で最後の公式戦マウンドを楽しんだ。 投げた白球は、捕手のミットを大きくそれた。 「これで私の高校野球はおしまい。力いっぱいやった。悔いはない」 心は、頭上の青空のように晴れやかだった。 ◇ 「スパン」。うまく捕球できた時にグラブが発する音が気に入った。小学2年。近くの子とのキャッチボールが、野球との出会いだった。 人形遊びより、走り回るのが好き。反対する母親を説き伏せ、少年野球チームに入ったのは小学5年。一塁手兼投手で5番打者。すぐに試合の魅力にとりつかれた。 中学はソフトボール部。地域で女子軟式野球クラブにも入った。 刈谷高に進学が決まると、中学時代の先輩を通じて野球部に入れるか問い合わせた。 「大丈夫だってよ」 迷わず入部を決めた。親は何も言わなかった。 当時の監督、本多浩さん(44)は振り返る。「拒む考えはなかった。ただ女子用の別の練習メニューは作れない。ついてこられないなら仕方ないと思った」 練習態度をみて、取り越し苦労とわかった。 ◇ 逆に岡田さんは初めて、「女子」を意識するようになった。 女子は公式戦に出られない。入学前から知っていた規定が、少しずつ心の重しになった。練習が厳しければ厳しいほど、「甲子園」という目標がうらやましかった。 ある日、練習でバテていると、仲間から檄(げき)が飛んだ。「オカダァ、なにモタモタやってんだ。しっかりしろ」 ハッとした。「男だ、女だと気にしているのは自分だけでは。悩んだり不満を持ったりするのは、皆に負けない実力をつけてからにしよう」 10キロ走、タイヤ引き、筋力トレーニング……。グラウンド脇で吐きながら走った。打球が顔に当たり、腫れたのも一度や二度でない。 限界まで自分を追い込むと、他者との差が見える。埋めようとまた努力する。その繰り返し。 3年にもなると、球さばきは誰にも負けない自信がついた。でも、走力や筋力の差は歴然だった。50メートル走7.2秒。重さ1キロのバットは、最後まで重く感じた。 最後の夏、大会を前にメンバーが発表された。選ばれた仲間に、心から「おめでとう」と言えた。 ◇ あれから2年。東京で大学生活を送っている。 当時は「体育教員になって高校野球の監督になりたい」と考えていたが、今は野球から距離を置く。将来を模索中だ。 「男だから女だからでなく、お互いの違いを理解し、良さを生かす。そんな生き方をしたい」
高校時代、男子部員と長さの変わらなかった髪は今、胸まで届く。あの夏から伸ばしている。
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