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坂道をあがってきたバスが店の前でゆっくりブレーキをかけた。戸を開けて出てきた杉本末美さん(79)に運転手が窓を開け、朝刊の入った袋を手渡す。新聞が郵便で届く吉原地区に一足早く来る「バス便」。これを受け取るのが雑貨店を営む末美さんの朝の仕事になっている。この便に乗客はだれもいなかった。
「昔々は、人もいっぱい積んで来よったけどねえ」
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唯一の幹線道路・県道6号。この道の開通は住民の悲願だった。吉原公民館の庭にある石碑に、その歴史が刻まれている。
「幾多ノ辛酸ヲ嘗メテ大正十年終ニ開通セシメタリ……地方開発ニ貢献スルコト偉大ナルモノアリ」
険しい山間部。難航したが、住民も道を切り開き、費用の一部も出して開通にこぎつけた。
23歳で結婚して、この店で人生の大半を過ごした末美さんの思い出はこの道へとつながる。
少女時代。砂利道を通って尋常高等小学校までの10キロ余りの道のり。朝は暗いうちから教科書を広げて歩いた。炎天下の夏は、道から河川敷におり友だちと一緒に川に入った。「家に帰るまでに4回ばあ泳いだ」。林業がさかんだった当時、労働者を運ぶバスが横を通り過ぎていった。
そして、戦争へ。10歳違いの兄は高知市の国鉄旭駅から出征した。兵服姿の兄に向かい、日の丸の旗を懸命にふった。
「泣いたらだめ、笑って送ろうと思っていたけど、涙が出て涙が出てねえ」
兄は中国で戦死。この道を一緒に歩くことは2度となかった。
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終戦から3年後に結婚し、4人の娘を育てながら店番をしてきた末美さん。窓越しに県道の往来がよく見える。道はアスファルト舗装され、市街地までの時間は半分ほどの約40分に短縮された。一方、多くの住民は仕事場を求めて村外に出た。
人の流れは徐々にさみしくなった。4人の娘も結婚してみな、村外で暮らす。夫との2人暮らしも15年ほどになる。
吉原地区では50年前に510人だった人口が、3割以下に減った。唯一の小学校は83年、廃校に。小学生は6人となり、7キロ先の学校にバス通学。そのバスも乗客数減で撤退が検討され、村が補助金を出してバス会社の赤字を埋める形で維持する。今年度に見込む補助金と委託料は約1160万円だ。
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ギューン、ガガガ……チェーンソーがうなりをあげて、直径10センチほどの新緑の樹木を倒す。
14日から県道6号の拡幅工事が始まった。山肌を削り取り、幅3メートルに満たない部分を約4メートルに広げる計画だ。「ライフライン」の整備は歓迎するが、戦前、戦後を見てきた末美さんはちょっと複雑な心境になる。
「確かに、こんな狭くてカーブが多い道、いまどきないと言われる。でも、太くなったからといって、娘も孫も戻って来んろうねえ」
(06/17)
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